家族から教わったもの

あさのクリニックの相談員です。長文になります。

先日、祖母が亡くなりました。その祖母が体調を崩してから、入院をして亡くなるまでには、いろいろ考え、そして感じることが多く、
ソーシャルワーカーとしての視点が増えたような気がします。
今回は、考えることが出来たことを少しだけ紹介します。

・忙しいから、家でみた
祖母は、自宅で私の曽祖父、曾祖母を自宅で介護して、看取っています。
その理由は『忙しいから、家でみた』ということでした。
私の実家は小さな離島にある小さな商店です。その商店の事が忙しいので、
交通の便(フェリーで病院のある本土に渡らないといけない)などを考えると
入院や入所ではなく、家で介護するしかなかった。ということでした。
この「忙しいから、家でみた」という言葉にはその時の私にはかなりの衝撃でした。

 

 

 

 


・祖母の入院
約3年前に祖母が体調を崩し、入院しました。入院中に転倒して頭を打ったそうです。
元気がなくなり、検査で慢性硬膜下血腫がわかり手術を受けました。
手術を受けたあとに見舞いに病院行きましたが、顔に力がなく、ボーっとしており、
声は出してくれるが、覇気がなく、食事も介助が必要でした。しばらくは、ぼーっとして元気がないままの日が続いたそうです。

・介護が必要になった
ずっと一緒だった祖母が、病気が原因で介護が必要になり、足に力が入らないので、ベッドから抱えるようにして車椅子へ移る必要がありました。
年齢を重ね、思いがけず、病気やけがをして、一人でできていたことができなくなり、介護が必要になった方には、仕事を通じて多く出会っていました。
しかし、自分自身の家族に起きた出来事は初めてでした。
わかっていたはずなのに、帰省する前日の夜などに、なにか悲しいというか、涙がでてしまいました。
みんなが同じではないが、家族に介護が必要になった時に、そうなって欲しくない、そうであってほしくないと思い、
それを受け入れる事のできない感情になるのではないかと、気づくことができたように思います。
『あたり前の事』かもしれないけど、『受け入れる』には時間が必要なのだと気づくこともできました。。

・その人にとって大切な事
その後、祖母は徐々に元気になり、話もできるようになり、表情や話し方が元気な頃の祖母なりました。
リハビリで介助をすれば歩けるようにもなってきていました。
祖母は入院前は、毎朝仏壇にお経をあげていました。2年前のお盆前に、墓や仏壇の事を聞いたら、
『参りたいけど、これじゃ(介助がないと歩けない)無理じゃろ』との言葉が返ってきました。私はお盆には墓参りと仏壇に参ることを約束し、
その年のお盆に、その約束を果たしました。
当日、病院に迎えに行き、約1年ぶりの外出。『もう参れんかと思っとたけど』と言い、お墓に手を合わせた後、約1年ぶりの家に帰り、仏壇にお経を上げていました。仏壇に向かって、『おかげさまで、参らせてもらいました。ありがとうございます。なんまんだぶ(南無阿弥陀佛)』と仏壇へ伝えている言葉が印象的でした。祖母にとって、お墓、仏壇というものが、祖母にとって大きな存在であるのではないかと感じました。

・知っている事と知らない事
墓参りと仏壇のために外出の時には、元気になってきていた祖母。
入院リハビリで、シルバーカーを使えば、少しの介助でゆっくり歩くことができていた。
その姿を見ていたので、外出は介助があればできると私は大丈夫と思っていた。
しかし、親、姉は、外出には反対ではないが、『できんじゃろ』と言って不安になっていた。
一人では歩けない祖母を介助すること、それも病院の外で自分たちが介助することは怖かったようでした。
介助をしながら一緒に歩くことを『知っている』私。介助しながら一緒に歩く経験がほぼなく、『知らない』親と姉。
退院や在宅生活を支援する専門職は、経験から良くなっている。できると考える。
しかし、思いがけず介護される事になった方、思いかけず介護をする事になった方は、どのようにすればいいのかイメージができないので不安がある。
この両者の気持ちには差があることを、自分の家族とのやり取りを通じて、実体験として感じる事ができました。

その後リハビリで順調に改善し、自宅に退院をしましたが、体調を崩し、また入院となりました。

・病名を告知すること
検査で癌がみつかり、手術や抗がん剤などの治療は難しいと判断され、症状を軽減する処置をうけ、
本土にある大きな病院から、地元の病院に戻りました。
私は、親から祖母には癌である、治っていないからまた熱がでることもあることは伝えている。と聞き、
いわゆる癌の告知は受けていることを親からは聞いていました。
病院に見舞いに行った際に祖母と話をしました。癌の告知は受けていると聞いていましたが、その時『癌』という言葉を使うことはできませんでした。「おばあちゃん、病気はなんじゃったん?どうじゃった?」と聞いた返事は、「お腹の方が悪かったらしいけど、治ったで」でした。
もう少し、突っ込んで聞きたい自分もいましたが、そんなもんだと思い、それ以上病気のことの話をしませんでした。
家にもどり、親にどういう言い方で伝えているのかを確認すると、「悪いもんが見つかった」ことを言っているとのことでした。
その後、職場の勉強会で、『医療をするものうけるもの』という村上智彦先生と西村元一先生の対談のDVDをみました。
その中で、西村先生が「癌という言葉は医療者にとっては単なる病名であるが、市民(患者)にとっては“いのち”に通ずる病名以上の意味がある。」
「“ありふれた”病気のはずだが、なぜか“ありふれていない”」とおっしゃっている場面があり、医療者と市民との意識の差を家族の立場で体験した気持ちでした。

(医療をするものうけるものDVD写真)

 

 

 

 

 

 

 

仕事をする中で、なぜ告知していないのか、なぜしないのかと思ってしまいがちでしたが、病名によっては、
告知を受けること、それを家族から本人に伝えることは、とても『力』のいる事なんだろうと思いました。

・「かわいいね」といわれること
病状が安定した祖母は、一度老健に入所しましたが、発熱し、処置を受けた病院に再入院し、
前回と同じように症状軽減の処置を受け、地元の病院に戻ってきました。
徐々に体力などは落ちており、歩けなくなり、元気がない日や家族の顔がわかったり、わからない日があるようになりました。
少しボーットしているが、会話はできる祖母。ある時に面会の後に「おばあちゃん、かわいかったね」と自分の家族に言われました。
普段、仕事ではきっと気にすることもなく、高齢者に対して、「かわいい」という事を使ったり、聞いている言葉だと思います。
しかし、この時の「かわいい」という言葉に、すごく心が揺さぶられた自分がいました。
それは、好感触の感情ではなく、祖母を「かわいい」と表現される事に対しての拒否反応でした。
良かれと思って言った言葉が、言われた側にはそうでない時があることは分かっていましたが、
この「かわいい」と祖母が表現されてしまうことは、どうしても受け入れることができませんでした。
仕事を通じて関わるご家族は、それぞれ、夫・妻・母親・父親などの介護者である方が多いです。
その介護者と共に歩んできた夫・妻、育ててくれた母親・父親などに、「かわいい」と言ってしまっているのではないか、
それを言われた家族はどんな気持ちになるのかを考えさせられる機会となりました。

・意外な言葉
ある程度落ち着いていた時に、墓参りを提案したとき、「長いこと参っとらん、バチあたりしゃけぇ、参ることはできん」と返事でした。
歩けないから、迷惑をかけるから、という言葉ではなかったことは印象的でした。
この言葉は、率直に“仏さんにもうしわけない”という気持ちだったのだろうかわかりませんが、結局、墓参りは実現しないままになってしまいました。

徐々に、声かけても反応をしなくなり、急な体調悪化などでバタバタした時期もありましたが、最後は、長年通院をし、主治医のいる地元の病院で、
亡くなりました。

今回の祖母が病気になってから起きたいろいろな出来事は、医療機関のソーシャルワーカーをしているからなのか、それとも年齢を重ねたからなのかはわかりませんが、いろいろ考える機会となりました。