見学・研修受け入れの中止のお知らせ(感染症対策のため)2020年3月5日付
あさのクリニックは、プライマリ・ケアの現場を肌で感じ、顔の見える連携や、同じ領域で活躍する仲間を増やしていきたいという思いから、見学・研修を積極的に受け入れていますが、国内で新型コロナウイルス感染症の感染例の報告が増えている現状から、一時的に見学・研修の受け入れを中止させていただいています。
お住いの行政や新聞やテレビで皆さんご存知の通り、新型コロナウイルス感染症の拡大防止の取り組みが全国的に実施されていますので、見学・研修のご検討をいただいていた方には大変申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。
見学・研修受け入れ再開の際には、改めてお知らせをさせていただきます。
以下は、岡山県からの新型コロナウイルス感染症についてのお知らせです。
岡山県 新型コロナウイルス感染症についてのページ https://www.pref.okayama.jp/page/645925.html
新型コロナウイルス感染症に係る帰国者・接触者相談センターについて https://www.pref.okayama.jp/page/648845.html
新型コロナウイルス感染症に関するお願い https://www.pref.okayama.jp/page/647702.html
うるおい日本プロジェクト
あさのクリニックは
『熱中症予防声かけプロジェクト』に続き
『うるおい日本プロジェクト』
に参加・応援しています
汗をかくことが少なく、喉の渇きを感じにくいこの季節ですが、こまめな水分補給に取り組んでいきましょう。
うるおいプロジェクト 6つのアクション
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インフルエンザは、12月~3月に流行時期をむかえます。1人1人、感染しない・させないよう、気をつけましょう。 | ![]() |
感染症予防には、こまめな手洗い・うがいが大切です。外出先から帰宅した時などは、必ず手洗い・うがいをしましょう。 |
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水分不足になると、体調を崩しやすくなります。汗をかく夏場はもちろんのこと、喉の渇きを感じにくい冬場でも水分補給を忘れずに。 | ![]() |
特に冬場は、低湿度(乾燥)となり、ウィルスが飛びやすくなっています。加湿器などを上手に使い、適切な湿度(50%~60%)に保ちましょう。 |
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乾燥すると、風邪等にかかりやすくなるだけでなく、お肌にもよくありません。体内外のうるおいを保つよう心がけましょう。 | ![]() |
水は私たちの暮らしと切り離すことができません。 今一度水の大切さを考えてみよう! |

あさのクリニックは『うるおいの日本プロジェクト』http://www.uruoi-japan.jp/の賛同会員です
日本医療マネジメント学会 第21回岡山県支部学術集会 報告
院長の浅野です。
平成30年7月豪雨により被災された皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。
先日の9月30日の台風24号は雨・風ともに強く、岡山県内でも川の増水で浸水の被害が起きたようです。また全国各地で被害があり、心を痛めております。
奄美の友人からは、今まで以上に風の勢いが強く、雨戸が壊れたりしているようで、緊迫した感じが伝わって来てました。
さて、9月29日に岡山医療センターで開催された、日本医療マネジメント学会 第21回岡山県支部学術集会の
特別企画『西日本豪雨災害対応の振り返りとこれから・・・吉備医師会より』に吉備医師会の会員の一人として登壇させていただきました。
岡山大学災害医療マネジメント学講座 中尾博之教授を座長に私と、吉備医師会の森下病院 院長 森下紀夫先生、高杉こどもクリニック 院長 高杉尚志先生が登壇し、高杉先生からは、AMDAの協力で行った真備地区の診療支援について、森下先生からは発災直後の傷病者対応についてお話していただました。
私からは、地域の医療機関、在宅医療からこの度の災害で思ったことを発表させていただきました。
豪雨災害のことなど、多くの事を皆さんと意見交換することができました。
また、私たちは地域で活動する医療者として、災害発生から時間がたった、これからの支援の事など、出来ることを積み重ねていきたいと強く感じる良い機会をいただきました。
家族から教わったもの
あさのクリニックの相談員です。長文になります。
先日、祖母が亡くなりました。その祖母が体調を崩してから、入院をして亡くなるまでには、いろいろ考え、そして感じることが多く、
ソーシャルワーカーとしての視点が増えたような気がします。
今回は、考えることが出来たことを少しだけ紹介します。
・忙しいから、家でみた
祖母は、自宅で私の曽祖父、曾祖母を自宅で介護して、看取っています。
その理由は『忙しいから、家でみた』ということでした。
私の実家は小さな離島にある小さな商店です。その商店の事が忙しいので、
交通の便(フェリーで病院のある本土に渡らないといけない)などを考えると
入院や入所ではなく、家で介護するしかなかった。ということでした。
この「忙しいから、家でみた」という言葉にはその時の私にはかなりの衝撃でした。
・祖母の入院
約3年前に祖母が体調を崩し、入院しました。入院中に転倒して頭を打ったそうです。
元気がなくなり、検査で慢性硬膜下血腫がわかり手術を受けました。
手術を受けたあとに見舞いに病院行きましたが、顔に力がなく、ボーっとしており、
声は出してくれるが、覇気がなく、食事も介助が必要でした。しばらくは、ぼーっとして元気がないままの日が続いたそうです。
・介護が必要になった
ずっと一緒だった祖母が、病気が原因で介護が必要になり、足に力が入らないので、ベッドから抱えるようにして車椅子へ移る必要がありました。
年齢を重ね、思いがけず、病気やけがをして、一人でできていたことができなくなり、介護が必要になった方には、仕事を通じて多く出会っていました。
しかし、自分自身の家族に起きた出来事は初めてでした。
わかっていたはずなのに、帰省する前日の夜などに、なにか悲しいというか、涙がでてしまいました。
みんなが同じではないが、家族に介護が必要になった時に、そうなって欲しくない、そうであってほしくないと思い、
それを受け入れる事のできない感情になるのではないかと、気づくことができたように思います。
『あたり前の事』かもしれないけど、『受け入れる』には時間が必要なのだと気づくこともできました。。
・その人にとって大切な事。
その後、祖母は徐々に元気になり、話もできるようになり、表情や話し方が元気な頃の祖母なりました。
リハビリで介助をすれば歩けるようにもなってきていました。
祖母は入院前は、毎朝仏壇にお経をあげていました。2年前のお盆前に、墓や仏壇の事を聞いたら、
『参りたいけど、これじゃ(介助がないと歩けない)無理じゃろ』との言葉が返ってきました。私はお盆には墓参りと仏壇に参ることを約束し、
その年のお盆に、その約束を果たしました。
当日、病院に迎えに行き、約1年ぶりの外出。『もう参れんかと思っとたけど』と言い、お墓に手を合わせた後、約1年ぶりの家に帰り、仏壇にお経を上げていました。仏壇に向かって、『おかげさまで、参らせてもらいました。ありがとうございます。なんまんだぶ(南無阿弥陀佛)』と仏壇へ伝えている言葉が印象的でした。祖母にとって、お墓、仏壇というものが、祖母にとって大きな存在であるのではないかと感じました。
・知っている事と知らない事
墓参りと仏壇のために外出の時には、元気になってきていた祖母。
入院リハビリで、シルバーカーを使えば、少しの介助でゆっくり歩くことができていた。
その姿を見ていたので、外出は介助があればできると私は大丈夫と思っていた。
しかし、親、姉は、外出には反対ではないが、『できんじゃろ』と言って不安になっていた。
一人では歩けない祖母を介助すること、それも病院の外で自分たちが介助することは怖かったようでした。
介助をしながら一緒に歩くことを『知っている』私。介助しながら一緒に歩く経験がほぼなく、『知らない』親と姉。
退院や在宅生活を支援する専門職は、経験から良くなっている。できると考える。
しかし、思いがけず介護される事になった方、思いかけず介護をする事になった方は、どのようにすればいいのかイメージができないので不安がある。
この両者の気持ちには差があることを、自分の家族とのやり取りを通じて、実体験として感じる事ができました。
その後リハビリで順調に改善し、自宅に退院をしましたが、体調を崩し、また入院となりました。
・病名を告知すること
検査で癌がみつかり、手術や抗がん剤などの治療は難しいと判断され、症状を軽減する処置をうけ、
本土にある大きな病院から、地元の病院に戻りました。
私は、親から祖母には癌である、治っていないからまた熱がでることもあることは伝えている。と聞き、
いわゆる癌の告知は受けていることを親からは聞いていました。
病院に見舞いに行った際に祖母と話をしました。癌の告知は受けていると聞いていましたが、その時『癌』という言葉を使うことはできませんでした。「おばあちゃん、病気はなんじゃったん?どうじゃった?」と聞いた返事は、「お腹の方が悪かったらしいけど、治ったで」でした。
もう少し、突っ込んで聞きたい自分もいましたが、そんなもんだと思い、それ以上病気のことの話をしませんでした。
家にもどり、親にどういう言い方で伝えているのかを確認すると、「悪いもんが見つかった」ことを言っているとのことでした。
その後、職場の勉強会で、『医療をするものうけるもの』という村上智彦先生と西村元一先生の対談のDVDをみました。
その中で、西村先生が「癌という言葉は医療者にとっては単なる病名であるが、市民(患者)にとっては“いのち”に通ずる病名以上の意味がある。」
「“ありふれた”病気のはずだが、なぜか“ありふれていない”」とおっしゃっている場面があり、医療者と市民との意識の差を家族の立場で体験した気持ちでした。
(医療をするものうけるものDVD写真)
仕事をする中で、なぜ告知していないのか、なぜしないのかと思ってしまいがちでしたが、病名によっては、
告知を受けること、それを家族から本人に伝えることは、とても『力』のいる事なんだろうと思いました。
・「かわいいね」といわれること
病状が安定した祖母は、一度老健に入所しましたが、発熱し、処置を受けた病院に再入院し、
前回と同じように症状軽減の処置を受け、地元の病院に戻ってきました。
徐々に体力などは落ちており、歩けなくなり、元気がない日や家族の顔がわかったり、わからない日があるようになりました。
少しボーットしているが、会話はできる祖母。ある時に面会の後に「おばあちゃん、かわいかったね」と自分の家族に言われました。
普段、仕事ではきっと気にすることもなく、高齢者に対して、「かわいい」という事を使ったり、聞いている言葉だと思います。
しかし、この時の「かわいい」という言葉に、すごく心が揺さぶられた自分がいました。
それは、好感触の感情ではなく、祖母を「かわいい」と表現される事に対しての拒否反応でした。
良かれと思って言った言葉が、言われた側にはそうでない時があることは分かっていましたが、
この「かわいい」と祖母が表現されてしまうことは、どうしても受け入れることができませんでした。
仕事を通じて関わるご家族は、それぞれ、夫・妻・母親・父親などの介護者である方が多いです。
その介護者と共に歩んできた夫・妻、育ててくれた母親・父親などに、「かわいい」と言ってしまっているのではないか、
それを言われた家族はどんな気持ちになるのかを考えさせられる機会となりました。
・意外な言葉
ある程度落ち着いていた時に、墓参りを提案したとき、「長いこと参っとらん、バチあたりしゃけぇ、参ることはできん」と返事でした。
歩けないから、迷惑をかけるから、という言葉ではなかったことは印象的でした。
この言葉は、率直に“仏さんにもうしわけない”という気持ちだったのだろうかわかりませんが、結局、墓参りは実現しないままになってしまいました。
徐々に、声かけても反応をしなくなり、急な体調悪化などでバタバタした時期もありましたが、最後は、長年通院をし、主治医のいる地元の病院で、
亡くなりました。
今回の祖母が病気になってから起きたいろいろな出来事は、医療機関のソーシャルワーカーをしているからなのか、それとも年齢を重ねたからなのかはわかりませんが、いろいろ考える機会となりました。
熱中症予防 声かけプロジェクト
あさのクリニックは
『熱中症予防 声かけプロジェクト』に参加・応援しています
クリニック待合には、ウォーターサーバーも設置していますので、水分補給にご利用ください。