スタッフブログ


応援(エール)

大変久しぶりの書籍の紹介です。(まだ2回目です・・・)

書籍の題名は、「エールは消えない いのちをっめぐる5つの物語」です。
書籍の帯には、”読んでちょうだい、、、、 樹木希林”

発見と購入

インターネットの記事で、書籍のこと、著者の
志村季世恵さんの出版記念公演が紹介されていたことが購入のきっかけでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

拝読

著者が出会った人とのことが記載されており、様々な方との出会いの中での言葉かけなどから、
私自身(仕事、仕事以外問わず)の生活に対して、忘れていた何かを考えるご縁をいただく内容でした。

思い出

書籍中では、著者の志村さんが代表理事の団体が行ている、ダイアログ・イン・ザ・ダークのことも紹介されており、2018年8月に大阪にあった常設(現在はないです)の体験会場で、真っ暗闇の環境の中で、一緒に参加している方と声を掛け合いながら、つないだ手で導かれながら、視覚障害方のアテンドで光のない暗闇を体験したことを思い出しました。
光がまったくない世界は当たり前ですが。目をみひらいても何も見えない、その日初めて出会う方と、何も見えない空間で、自分の存在をしらせるために声を出し合いながら、暗闇の中を移動しました。
暗闇の中では、人が声がすることだけでなく、手が当たることで、誰かがそばにいる。そのそばの誰かは『私の味方』である事をを感じ、何も見えないけど安心したこと。などを書き留めた私のメモを読み返し、書籍を読んで感じたことと似ている部分があることに気づきました。

検索を!!

・エールは消えない いのちをっめぐる5つの物語
・ダイアログ・インザ・ダーク
をぜひ検索をしてください。
出版社の婦人の友社のホームページの書籍紹介のページには、
目次や一部内容の一部も紹介されています。

過去の書籍紹介のブログ記事
https://asanoclinic.com/blog/4996.html

2023/06/28

『人生会議』をテーマにした本

人生会議

あさのクリニックでは、毎年1月号のフリーペーパーでは、「人生会議」を皆さんが知り、
そして実際に話をするきっかけになればと思い、作成を継続しています。

令和4年1月のフリーペーパーでは、タイトルと「人生会議」から「今とこれからのこと」として作成をしました。
・紹介のブログ https://asanoclinic.com/freepaper/4913.html

 

人生会議をテーマにした本を読みました。

この度のブログでは、私が先日読み終えた(何度も読み返したい!!)『わたしたりの暮らしにある人生会議』を紹介したいと思います。
出版社の株式会社 金芳堂の
・書籍のページの書籍の紹介ページ ⇒ https://www.kinpodo-pub.co.jp/book/1890-7/
・編集後記『わたしたちの暮らしにある人生会議』 ⇒ https://note.com/kinpodo/n/n1c56f9272966

書籍の帯には、

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
決めなくてもいいから、
いっぱい話をしよう。           人生会議は
日常の言葉たちを集めて記憶し、      いつもの暮らしのなかにある。
「ものがたり」と紡いでいこう。
事前指示とはどう違うの? 人生会議(アドバンス・ケア・プランニング:ACP)という
対話のプロセスを様々な立場の医療従事者や非医療従事者の目線を通じてお伝えします。
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
と紹介されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

私がこの書籍を購入したのは、たまたまではなく、私自身がいわゆるファンである方々が執筆をされていることがきっかけです。

なるほどなあ。と思いながら読み始め、第2部 私たちのACP では、
公募で選ばれた方それぞれの『自分が経験した人生会議のものがたり』(書籍から引用)にかわり、さらに内容に引き込まれ、涙を流しながら熟読しました。この人のものがたり、あの人のものがたり、当たり前ですが違った内容のものがたりを読み、話をすること、話をしておくこと、何気ない会話でもいいから会話をしていること、それが人生会議につながている。など、自分なりの人生会議についてのいろいろな気づきをいただきました。
結局、なにも文章化できず、よくわからない内容のままですが、今回のブログを終わります。 皆さん、内容気になりますよね!?

私が涙したのは、その内容に感動したから、さらには自分のことに重ねわせて大切な方を思い出したから・・・。

今この本を読んでいる自分はこれから自分の家族とどんな話ができるのであろう。どうやって話すのだろう。そしてそれができるだろうか・・・。

2022/02/08

家族から教わったもの

あさのクリニックの相談員です。長文になります。

先日、祖母が亡くなりました。その祖母が体調を崩してから、入院をして亡くなるまでには、いろいろ考え、そして感じることが多く、
ソーシャルワーカーとしての視点が増えたような気がします。
今回は、考えることが出来たことを少しだけ紹介します。

・忙しいから、家でみた
祖母は、自宅で私の曽祖父、曾祖母を自宅で介護して、看取っています。
その理由は『忙しいから、家でみた』ということでした。
私の実家は小さな離島にある小さな商店です。その商店の事が忙しいので、
交通の便(フェリーで病院のある本土に渡らないといけない)などを考えると
入院や入所ではなく、家で介護するしかなかった。ということでした。
この「忙しいから、家でみた」という言葉にはその時の私にはかなりの衝撃でした。

 

 

 

 


・祖母の入院
約3年前に祖母が体調を崩し、入院しました。入院中に転倒して頭を打ったそうです。
元気がなくなり、検査で慢性硬膜下血腫がわかり手術を受けました。
手術を受けたあとに見舞いに病院行きましたが、顔に力がなく、ボーっとしており、
声は出してくれるが、覇気がなく、食事も介助が必要でした。しばらくは、ぼーっとして元気がないままの日が続いたそうです。

・介護が必要になった
ずっと一緒だった祖母が、病気が原因で介護が必要になり、足に力が入らないので、ベッドから抱えるようにして車椅子へ移る必要がありました。
年齢を重ね、思いがけず、病気やけがをして、一人でできていたことができなくなり、介護が必要になった方には、仕事を通じて多く出会っていました。
しかし、自分自身の家族に起きた出来事は初めてでした。
わかっていたはずなのに、帰省する前日の夜などに、なにか悲しいというか、涙がでてしまいました。
みんなが同じではないが、家族に介護が必要になった時に、そうなって欲しくない、そうであってほしくないと思い、
それを受け入れる事のできない感情になるのではないかと、気づくことができたように思います。
『あたり前の事』かもしれないけど、『受け入れる』には時間が必要なのだと気づくこともできました。。

・その人にとって大切な事
その後、祖母は徐々に元気になり、話もできるようになり、表情や話し方が元気な頃の祖母なりました。
リハビリで介助をすれば歩けるようにもなってきていました。
祖母は入院前は、毎朝仏壇にお経をあげていました。2年前のお盆前に、墓や仏壇の事を聞いたら、
『参りたいけど、これじゃ(介助がないと歩けない)無理じゃろ』との言葉が返ってきました。私はお盆には墓参りと仏壇に参ることを約束し、
その年のお盆に、その約束を果たしました。
当日、病院に迎えに行き、約1年ぶりの外出。『もう参れんかと思っとたけど』と言い、お墓に手を合わせた後、約1年ぶりの家に帰り、仏壇にお経を上げていました。仏壇に向かって、『おかげさまで、参らせてもらいました。ありがとうございます。なんまんだぶ(南無阿弥陀佛)』と仏壇へ伝えている言葉が印象的でした。祖母にとって、お墓、仏壇というものが、祖母にとって大きな存在であるのではないかと感じました。

・知っている事と知らない事
墓参りと仏壇のために外出の時には、元気になってきていた祖母。
入院リハビリで、シルバーカーを使えば、少しの介助でゆっくり歩くことができていた。
その姿を見ていたので、外出は介助があればできると私は大丈夫と思っていた。
しかし、親、姉は、外出には反対ではないが、『できんじゃろ』と言って不安になっていた。
一人では歩けない祖母を介助すること、それも病院の外で自分たちが介助することは怖かったようでした。
介助をしながら一緒に歩くことを『知っている』私。介助しながら一緒に歩く経験がほぼなく、『知らない』親と姉。
退院や在宅生活を支援する専門職は、経験から良くなっている。できると考える。
しかし、思いがけず介護される事になった方、思いかけず介護をする事になった方は、どのようにすればいいのかイメージができないので不安がある。
この両者の気持ちには差があることを、自分の家族とのやり取りを通じて、実体験として感じる事ができました。

その後リハビリで順調に改善し、自宅に退院をしましたが、体調を崩し、また入院となりました。

・病名を告知すること
検査で癌がみつかり、手術や抗がん剤などの治療は難しいと判断され、症状を軽減する処置をうけ、
本土にある大きな病院から、地元の病院に戻りました。
私は、親から祖母には癌である、治っていないからまた熱がでることもあることは伝えている。と聞き、
いわゆる癌の告知は受けていることを親からは聞いていました。
病院に見舞いに行った際に祖母と話をしました。癌の告知は受けていると聞いていましたが、その時『癌』という言葉を使うことはできませんでした。「おばあちゃん、病気はなんじゃったん?どうじゃった?」と聞いた返事は、「お腹の方が悪かったらしいけど、治ったで」でした。
もう少し、突っ込んで聞きたい自分もいましたが、そんなもんだと思い、それ以上病気のことの話をしませんでした。
家にもどり、親にどういう言い方で伝えているのかを確認すると、「悪いもんが見つかった」ことを言っているとのことでした。
その後、職場の勉強会で、『医療をするものうけるもの』という村上智彦先生と西村元一先生の対談のDVDをみました。
その中で、西村先生が「癌という言葉は医療者にとっては単なる病名であるが、市民(患者)にとっては“いのち”に通ずる病名以上の意味がある。」
「“ありふれた”病気のはずだが、なぜか“ありふれていない”」とおっしゃっている場面があり、医療者と市民との意識の差を家族の立場で体験した気持ちでした。

(医療をするものうけるものDVD写真)

 

 

 

 

 

 

 

仕事をする中で、なぜ告知していないのか、なぜしないのかと思ってしまいがちでしたが、病名によっては、
告知を受けること、それを家族から本人に伝えることは、とても『力』のいる事なんだろうと思いました。

・「かわいいね」といわれること
病状が安定した祖母は、一度老健に入所しましたが、発熱し、処置を受けた病院に再入院し、
前回と同じように症状軽減の処置を受け、地元の病院に戻ってきました。
徐々に体力などは落ちており、歩けなくなり、元気がない日や家族の顔がわかったり、わからない日があるようになりました。
少しボーットしているが、会話はできる祖母。ある時に面会の後に「おばあちゃん、かわいかったね」と自分の家族に言われました。
普段、仕事ではきっと気にすることもなく、高齢者に対して、「かわいい」という事を使ったり、聞いている言葉だと思います。
しかし、この時の「かわいい」という言葉に、すごく心が揺さぶられた自分がいました。
それは、好感触の感情ではなく、祖母を「かわいい」と表現される事に対しての拒否反応でした。
良かれと思って言った言葉が、言われた側にはそうでない時があることは分かっていましたが、
この「かわいい」と祖母が表現されてしまうことは、どうしても受け入れることができませんでした。
仕事を通じて関わるご家族は、それぞれ、夫・妻・母親・父親などの介護者である方が多いです。
その介護者と共に歩んできた夫・妻、育ててくれた母親・父親などに、「かわいい」と言ってしまっているのではないか、
それを言われた家族はどんな気持ちになるのかを考えさせられる機会となりました。

・意外な言葉
ある程度落ち着いていた時に、墓参りを提案したとき、「長いこと参っとらん、バチあたりしゃけぇ、参ることはできん」と返事でした。
歩けないから、迷惑をかけるから、という言葉ではなかったことは印象的でした。
この言葉は、率直に“仏さんにもうしわけない”という気持ちだったのだろうかわかりませんが、結局、墓参りは実現しないままになってしまいました。

徐々に、声かけても反応をしなくなり、急な体調悪化などでバタバタした時期もありましたが、最後は、長年通院をし、主治医のいる地元の病院で、
亡くなりました。

今回の祖母が病気になってから起きたいろいろな出来事は、医療機関のソーシャルワーカーをしているからなのか、それとも年齢を重ねたからなのかはわかりませんが、いろいろ考える機会となりました。

2018/06/26

石松先生の突撃訪問

こんにちは!院長の浅野です。
GWがあけてからしばらくは、気温が安定しない体調管理の難しい日々ですね。
さてさて、先日は救急医時代からの恩師、聖路加国際病院副院長の石松伸一先生が当院を突撃訪問してくださいました。昨年と同じく、川崎医科大学の学生講義で岡山へいらしゃる際にお越しくださいました。
石松先生は、聖路加国際病院の救急医として、地下鉄サリン事件では現場の指揮をとり、その後も後遺症などで悩む方々を長期的にサポートもされています。
地下鉄サリン事件 記事より引用)
また、台東区の山野地区で路上生活をされている方々を支援するNPOの山友会が運営する山友クリニックの無床診療所の医師としてもずっと活動されています。
山友会 公式ブログより引用)
私が2003〜4年度に救急医として聖路加国際病院にお世話になったときに、石松先生にご紹介いただき、山友クリニックの支援活動という経験をさせていただけたことは、自分の医師人生の道標のひとつでもあります。
現在は聖路加国際病院の副院長という大変お忙しい中で、川崎医大のご講義で来岡の際に空港から突然「今から行くからな・・・」という背筋の凍る?電話をいただけるのは本当にありがたいのですが、いつもビビりすぎるので、できればもう少し早めにご一報頂ければと思います。しかし、石松先生は「連絡したら身構えるだろ・・・大変だろうからな」と気遣って下さってのことのようです(汗)。
そして、お忙しいのを知っていながらお引き止めしまくり、昼食をご一緒頂くわけですが、やはりここは!!!「ブーンのカレー」をご用意させていただきました!
事務長の椎野、院長の浅野は石松先生が立ち上げられたボランティアグループ、ルカ・ジャパンで大変貴重な経験をさせていただきました。
特に、海外での活動ではカンボジアやフィリピン、バングラデシュなどへのスタディツアーを続けてきました。
また、最近では全国で医療福祉活動を行っている仲間や、先駆的な取り組みをされている事業者様へ見学や交流を目的とした国内のスタディツアーも行っています。

これらの取り組みについては改めてご紹介させていただきたいと思いますが、石松先生から教えていただいた医療人の在り方、人としての在り方をいつも胸に!日々の診療を大切に紡いでいけたらと思います。
当院は引き続き、クリニックの活動、地域の活動、国内外の活動へ参画していく仲間を増やしていきたいと思っています。石松イズムを引き継ぎながら・・・。
2018/05/10

心を寄せる ~VR認知症体験会@総社開催しました~

『心を寄せる』:思いをかける。好意をいだく。 関心をもつ。熱中する。傾倒する。

相談員の向川です。

『心を寄せる』という言葉は、数年前に出会った言葉で好きな言葉の一つです。

 

平成29年9月16日(土)、あさのクリニックが事務局の『総社で認知症を学ぶ会』は、第1回目の勉強会として、念願の『VR認知症体験会@総社』を(株)シルバーウッドの下河原さんと黒田さんをお招きし、50名定員の体験会を2回開催しました。(当日キャンセル等あり、計93名の参加でした)

(株)シルバーウッド VR認知症プロジェクト http://silverwood.co.jp/vr/

このVR認知症体験会は、昨年、全国の認知症についての取り組みやニュースを調べていた時にたどり着いたものです。
当初は、なんか面白そう、新しい!!という興味でしたが、VR認知症についての記事をたくさん見聞きする中で、体験会というものが各地で開催されていることを知り、この体験会を総社で開催したいと思うようになり、今年の2月に問い合わせを行い、そして今回、実現することができました。

バーチャルリアリティ(VR)で体験する認知症の1人称体験に、講師の下河原さんが私たちに伝えていただいた、認知症のある方への想い、取り組みなどの言葉の一つ一つが加わり、認知症のある人たちの生活、不安や歓喜などの気持ちに今までよりも『心を寄せる』ことが大切であることを実感することができました。

シルバーウッドのサービス付き高齢者向け住宅の銀木犀http://ginmokusei.net/の地域とつながる取り組みは、地域に当たり前にある、集いの場になっており、うらやましく、そして真似をしたくなる取り組みでした。

講義中で印象に残った言葉の一つに、『地域から認知症のある人を分離する社会は、無意識の偏見を育む素地を作ってしまっているのではないか』とありました。偏見を【生む】ではなく、偏見を【育む】とい言葉は、専門職という立場だけでなく、一人の地域で生活する立場でもある私たちへの強いメッセージであったのではないかと思いました。

誰もが住み慣れた地域で生活を続けることに心を寄せる、その地域で生活している人に心を寄せる、なぜ生きづらい社会なのかに心を寄せるなど、多く事を考える機会となりました。
当事者にならないとわからない体験を、VR技術で自分の事として体験し、当事者の感情を想像し、そして心を寄せる事の大事さを気づかせていただいた、VR認知症体験会。
今回の経験をしっかりと業務に生かすこと、そして、認知症への理解を広める取り組みも少しずつ行っていきたいと思います。

大変お忙しい中、総社まで来ていただいた下河原さん、黒田さん、誠にありがとうございました。とっても楽しく、そして貴重な体験となりました。これからも、いろんな面でご協力ができたらと、職員一同思っています。

 

2017/09/21